Two sides of the coin
/ 「特別小隊『朱華』」-9-
当真は朱音の言葉にはっとさせられた。そう、さっきまでの自分の行動はただの自己満足でしかない。
先刻までの当真は二藍が犯罪者である事を忘れ、彼の言葉を真に受けていた。
そう、彼は悪人だ。
人としての道を踏み外し、闇へと堕ちた人徳を持たない人間。
そんな人間の言葉がどうして正しいのだろうか。そんなことはない。
誰かの為に、専一に自分を磨き続けた純粋な女の子の言葉の方が、悪人のそれよりも遥かに正義に近いものがある。
しかし以前復讐の闇に捕らわれた当真は、どうしてもそちら側へと引き込まれやすくなっているようだった。
だがいまは"闇"よりも"光"の方が強い。
朱音、千紗、水色……当真には間違った道を進もうとすれば、元の道へと案内してくれる光がある。
目の前の闇や、自分の中の闇は、光に照らされたちまち消えてしまう。闇は光には勝てないからだ。
そうと分かっていても、人というものは"闇"を野に放しておこうとはしない。
自分達にとって脅威になるやも知れぬそれがあれば、焦燥に駆られ、それを社会から駆逐しようとする。
というものは間違いなく人類の不変の真理だ。
だから二藍は。当真たち科学派の"闇"となりうる彼は、ここで倒さなくてはならない。
"闇"が世界を覆いきり、届くはずの"光"を遮ってしまう前に。
当真は朱音の方を見た。
彼女は悲痛そうな面持ちを顔に貼り付けて、当真にそう訴えかけていた。
間近で朱音に見つめられ、心拍数は確実に上がっている。だが原因はそれだけではない。
それに当真にはもう1つ、戦うのを諦めた理由があった。
ゆえに当真は今もなお奮い立てない。
「朱音、お前の言いたかった事はよく分かったよ。
お前の言ってることは決して間違ってないし、きっと正しい」
「だったらッ……!!」
朱音の語気はくよくよする当真をじれったく思い、自然と荒くなる。
しかし当真は気にせず、一拍間を置いて言った。
「けど怖いんだ。どうしようもなく」
「…………!!」
さっきまでは勢いがあった朱音だったが、当真の言葉で朱音は言葉を失ったようだ。
当真を支配していた感情は「憎悪」だけではなかった。それは戦いに対する「恐怖」だ。
当真はまともな戦闘経験は無いが、それゆえに圧倒的力の差がある相手と相対すれば、
相手の力が自分を遥かに凌駕していることに気付くのは他愛無いことだ。
嫌が応にも実感する実力差。負ければ死ぬ。勝たなくては死ぬ。
戦いにおいて最も恐怖すること。「死」への恐怖。
戦いの中に身をおく者ならば、それは誰もが持っている。そして自分の強さに自信を持ち
死に臆することなく立ち向かえるものこそが"強者"と呼ばれるのだ。
しかし当真は死に恐怖している。その理由は至極簡単。
当真は"己が弱者だと知っている"からだ。
武術が得意ではないし、出きる事と言えば射撃と魔法金属学だけ。
そんな自分をより強くしようなんて思ったことはないし、自分の底なんてたかが知れていることも知っている。
当真には、己を奮い立たせるための"自信"が完全に欠落しているのだ。
ゆえにもう当真は戦えない。それは死ぬことが怖いからだ。
当真は下を向いていた。普段は強気な態度を見せるのに、どうしようもなく不安になったとき、
腕を組んで俯くのは当真のクセであるというのを長い付き合いの朱音はよく知っている。
当真は気付かれていないと思っているのかもしれないが、朱音は知っていた。
当真が進んで友達を作ろうとしない理由も、当真のことは……何でも。
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確かに当真を絶望の底から救ったのは水色だった。
彼の言葉で当真が"普通の少年"に戻ったのは事実だ。だが、そこから当真の根本的な性格が変わった訳ではない。
憎悪を心から追い出し、復讐の念を押さえ込んだからといって、当真やその周りの環境が変わったといわれればそれは違う。
相変わらず当真は水色以外の人を寄せ付けようとはせず、ずっと本を読んでいた。
近寄りがたいオーラ、年齢に似合わない大人びた雰囲気。
だがそれはどこか、人と関わるのを怖がっているかのように他人と壁を作るための振る舞いとも言える。
ある休日。当真は近くの公園でいつものように本を読んでいた。
公園に2つ並んで置かれた木製のベンチ。そのうちの1つを独占し、寝転がりながら本を読むのは当真の習慣みたいなものだった。
公園に植えられた樹の下にあるベンチは、晴れた日には木々の木漏れ日が降り注ぎ、
仰向けに寝転がれば深緑のさやけさが美しく、当真を魅了し、
日光と梢が重なり合えば、葉の影と陽光のグラデーションが目を奪う。
当真は目を瞑り、光合成で作り出された酸素を目一杯吸う。息を止めて、吐く。体が綺麗になった気がする。
だからこの公園のこのベンチが好きだった。
例の如く自然の空気を堪能した後、本を読もうと栞を挟んだページを開いた時だった。
「ねぇ!何読んでるの!?」
「うわっ!」
不意にベンチの後ろから現れた影からイキナリ声を掛けられて思わず体がびくりと跳ねた。
普段なら絶対に漏らす事ない十歳の少年らしい声が自然と出てしまう。
何かと思い、後ろを見ればベンチの背もたれに女の子らしく両手で頬杖をつく少女が
瞳をきらきらと輝かせながら当真に聞いてくる。
「……小説。ファンタジーの」
突然の登場に驚かされたせいか、当真は愛想悪く答えた。
だが少女は別段それを気にした風でもなく、会話を続ける。
「そんなの表紙見れば分かるよ。私が聞いてるのは、どんなお話で、どんな人たちがどんなことをするのかってこと。
頭悪いなぁ、もう」
当真は『頭悪い』と言われかなりかちんときていた。
いつもならばここで会話をやめて、相手が何を言ってこようともガン無視し続けるのだが
今日に限ってそんな気は起きなかった。
もしかしたら彼女の言葉に悪意を感じられなかったかもしれないし、またあるいは当真の心の奥へと入り込もうと
彼女が意図的に話しかけてきたからではなく、純粋な興味……すなわち本への関心という動機だけで
当真に話しかけてきたからかもしれない。
当真は、渋々といった感じで話のあらすじを話始める。
「昔、あるところに魔法使いの我が侭なお姫様がいたんだ。自分勝手で、自分の気分で行動して、人を困らせてばかりいた。
自分のいう事を聞いてくれない人間は、自分の魔法で一人残らず消していくんだ」
「へぇ!それで?」
少女はわくわくしたように聞いてくる。きっと続きが聞きたくてしようがないのだろう。
さっきの『頭悪いなぁ』と言ったときの呆れたような口調ではなく、
弾むような口調で相槌を打つようすに当真は内心で思わず苦笑いしていた。
こういう相手の態度を見ると、不思議とこちらも話をしたくなるような気にさせられて、
当真もまた伝染したように弾むような口調へと変わっていく……
そうしてあらすじをだいたい話終えたところで、当真は完全に少女に心を開いていることに気付く。
誰一人として当真に近づかず、また当真も誰一人として近づけないよう作った"壁"を、
その少女は彼女自身が透明人間であるかのように、難なくするりと抜けてきたのだ。
この日から二人は、会うたびにお互いが読んだ本の感想を互いに話すようになり、気付けば友達になっていた。
当真の初めての友達が出来た瞬間だった。
そんな風にして、二人が仲良くなり、お互いのことを名前で呼び始めるようになったころ。
いつものように公園のベンチに腰掛けて、お互い読んだ本の感想を言い聞かせ合いながら、
その流れで少女は当真に1つの質問をしてみることにした。
「ねぇ。どうしてトーマはいつも一人でいるの?」
少女は出来るだけ何気ない口調を装ったつもりだった。いつもいつも、その訳を聞きたくてしょうがなかったのだが、
それが当真にとってのタブーだと分かっていたから、なかなか聞けなかったのだ。
本当はこの言葉を口にするのに多大な勇気が必要で、震える声と自分の好奇心を隠すために何気ない口調を装ったのだ。
内心では、自分の意図がばれやしないかとドキドキしたが、どうやら大丈夫みたいだ。とりあえずひと安心する。
なぜなら当真の唇が、ゆっくりながらも動き出す気配がしたからだ。
「……仲間を作れば、その人が消えたとき、すごく悲しくなるから」
悲痛な面持ちで当真は告げたのだが、少女は当真がそんな顔をする訳が全く分からなかった。
それどころか、度を越えすぎた杞憂をする当真が可笑しくてたまらなかった。
深刻そうに話す当真とは対極に、少女は極めて明るく、冗談めいた口調で答えた。
「はははっ、なにそれ!そんなことあるわけないじゃん!!」
少女は笑った……が、彼女は自分の好奇心で当真の真相心理を覗こうとしたことをすぐに後悔する。
「そんなことあるんだよッ!!」
咆哮。そう呼ぶに相応しい叫び声を、大地に向けて当真は放った。
だが怒りに震えるような口調とは裏腹に、当真の表情は悲しげだった。
西に傾いた太陽が、当真の顔を茜色に染める。それがかえって悲しげな表情をより際立たせる。
少女の位置からは横顔しか見えないが、かつて見たことのない当真の様子に少女はただあたふたするだけだった。
やがて冗談ではなく、本気でそう思っていると気付き少女は質問のベクトルを変えた。
「どうして?どうしてそんなこと思うの?
普通に生きていれば、突然誰かが消えるなんて、ありえないじゃない」
「普通ならな。けど、俺は普通じゃないから」
「え?」
「俺の両親は、戦争に巻き込まれてあっけなく死んだんだ」
「そんな……本当に?」
当真はゆっくりと首を縦に振り、肯定する。
予想を遥かに越えた当真の抱える事情に、十歳の少女は驚かずにはいられなかった。
興味本位で聞いただけだったのに、まさかここまで大きな闇を抱えてたとは夢にも思わなかったようだ。
当真は淡々と話を続ける。
「その日の朝、『いってくるね』と言った母さんも、『すぐ帰るからな』と言った父さんも、
結局うちに帰って来ることはなかった。帰って来たのは、中に誰も入っていない、冷たいだけの
二人の形をしただけの抜け殻だった」
少女は両手で口を覆った。もし自分の両親がそうなったらと考えると、戦慄した。
ましてそれを実際に体験した少年が目の前にいることがかなりショックだったのだ。
また当真も水色以外にこの話を誰にもしたことがなかった。とても話す気にはなれない話だし、
わざわざ自分の不幸を他人に語るまでもないと思っていたからだ。
しかし自然と目の前の少女に話す自分がいることに当真も驚いていた。
「つまり……トーマは、怖いんだね。誰かがいなくなるのが」
「……うん」
当真は今まで誰にも自分の弱さを晒したことはなかった。誰にもだ。
しかし今、驚くほど素直に自分の弱さを他人に肯定する自分がいることがびっくりだった。
「だから俺は仲間を作りたくはない。もう二度と大切なものを失いたくはないから」
「…………」
それを言うと、少女は黙ってしまった。当然だろうと当真は思った。
なんせこんな他人の不幸を聞いてまともに話ができる人間がいるならば、それは悪魔に心を売り渡した者だけだろう。
このころはまだ黒のセミロングだった彼女の髪に夕焼けが反射して、それが艶やかに光っている。
逆光で彼女の顔は見えないが、きっと引いているのだろうなと考え、当真はちょっぴり悲しくなった。
だが、少女の反応は真逆だった。どうしようもなく、当真に同情してしまっていた。
こんな深い哀しみを一人で抱える少年が、いままで一人で生きてきたことがいかに辛かったか、
幼いながらも聡明だった少女は直感的に理解した。
だからこそ、自分だけは彼の傍に居続けなくては。そう思った。
自分だけは彼の傍に居て、彼を決して一人にはさせないように。
だが少女は彼はきっとそれを拒否するだろうと考えた。いつか少女が消えるかもしれない、ということを恐れて。
少女は考えた。当真が納得するような理由を遠大に、真摯に。そしてある所へと逢着する。
「……いなくなるのが怖いなら、守ればいいじゃない」
「は?」
何を言われたのか分からないのか、当真は間の抜けた声を上げた。
だから少女は要領を得やすいよう、当真と向き合ってもう一度言い直した。
「だから!大切なものを失うのが怖いなら、守ればいいじゃない!
トーマが作った大切なものは、仲間も物でも何でも、その腕で、体で、頭を使って!守ればいいじゃない!
……だから……だから私を守ってね、絶対。トーマが私を守ってくれる限り――私はどこにもいかないよ」
そう言って少女は当真の目を真っ直ぐ見つめた。
当の本人は何が何だかわからない、といった顔をしているが、その頬はちょっぴり赤い。
真っ直ぐにぶつけられた少女の気持ちに照れているのだろう。
そんな当真の様子を見た少女は、左手の小指を突き立てて、当真の方へ差し出した。
「ホラ、指切り。早く!」
「お、おぅ」
めまぐるしい少女の態度の変化についてこれていないせいか、その動作はゆっくりとしたものだったが、
当真もまた右手の小指を突き立てて、少女へと差し出した。
その瞬間少女は鷲掴みにするように、自らの小指を差し出された小指を絡めて、指に力を入れる。
だが指を絡めたあとのことまでは考えてなかったみたいだ。
完全に指を話すタイミングを失ったみたいで、いつまで経っても小指は絡まったままだ。
それを見た当真がやがて、ぷっ、と噴き出すと、少女はえらく赤面していた。
が、当真が堪えきれずに笑い始めると、少女も釣られたように笑い始めた。
いつまでも笑いが止まらない。
二人の指も絡まったままだった。
背後から射す、穏やかな日の光に照らされたまま――
<2012年12月1日 公開>
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