Two sides of the coin

/ 「特別小隊『朱華』」-6-




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当真が千紗の部屋を後にしたのち、ついに涙を堪えていた空がポロポロと泣きはじめた。



空はすっかりどんよりした灰色の雲に覆われており、雨が降り出す前の独特の匂いまでが鼻をつく。



ごろごろと雲が鳴り、やけに雲が流れるスピードが速い。



まだ日没前なので若干空は明るいが、空一面を覆う雲のせいで不気味に光が透き通っている。







当真はすでに生徒が下校した後の無人の校舎の階段を下った。



雨のせいもあるのだろうが、いつも以上に静かな校舎に当真の靴音がコツコツと露骨に響く。



日の光が遮られた校舎の中は外よりも更に暗く、切れかけの蛍光灯がちかちかと点滅していた。



当真は階段の途中にある踊り場の窓から外を見た。いよいよ雨が本格的に降り始めた。



それは今まで我慢していた分を一気に吐き出すようにして激しく降り注いでいる。



校舎の脇に植えられた、今はすっかり葉桜となってしまった桜並木の梢が



大粒の雨に打たれ、ぽそぽそといったメロディを奏でる。



その雫が当たるたびに枝が上下し、粉々になった水滴が跳ね上がった。



当真は窓から離れて再び歩き始めた。







やがて一階の昇降口へと辿り着くと、当真は鞄のなか漁り、仕舞ってあった折り畳み傘を取りだした。



傘を包む袋を取り外し、それを鞄の中へと再び仕舞う。



そして傘の柄の部分を延ばし、開くのを止めてあるボタンを外すと傘がいつでも開ける状態になった。



さて、傘を開いて外へ出ようと思った時、校舎の入り口の屋根がついた部分で雨宿りしている



者がいることに気付いた。ウェーブのかかった茶色い短髪に制服のスカートを穿いた後姿から



少なくとも女子生徒であることは確かだ。



(確かこの学校にはそっち系の男子はいなかったはずだ)



ただ、それはもう何年も見てきた後姿だったので、当真にはそれがだれだかすぐに分かった。



その後ろ姿は紛れもない。――朱音である。



当真は傘を差そうとする手を止め、その女子生徒の横に並んだ。







だがお互いどちらからとも口を聞く訳でもなく、ただ雨を凌ぐ屋根の下で黙って立ち尽くすだけだった。



当真は隣に立つ朱音が、どんな顔をしているのか盗み見ようとしたが



朱音はまるで当真などそこに存在しないかのように真っ直ぐ前を見ていたせいで、横顔しか見れなかった。



その横顔には、やはり怒りの感情も表れていたが先ほどとは違って拗ねているようなそれだった。



しかし、その顔色にはどこか寂しさのようなものが混じって入るように当真には感じられる。







やがて沈黙に耐えられなくなったのか、先に口を利いたのは朱音のほうだった。



「……まだ帰ってなかったの?」



「ん?あぁ、ちょっと橡先生のトコに用事があってな」



つーかお前関係の用事だったんだけどな、と言いかけたのを、当真はなんとか呑み込んだ。







『女性というものは誰でも好きな人の為に自分の美を磨こうとするんだ』



不意に先ほどの千紗の言葉が頭の中でフィードバックする。



当真はこの言葉についてずっと考えていたのだ。そしてある考えに至った。



――コイツも誰か好きな人の為に自分の美を磨いてきたのではないか、と。



確かに朱音は中学生の頃と比べて格段に綺麗になった。もちろん、中学のころから男子達に「可愛い」と



騒がれる程度には可愛かったが、今の朱音はその頃とは別の美しさを帯びている。



それが当真には「意図して美しさを作ろうとした結果」のように思えた。



きっと誰かの為に美しくなる努力をしてきたということがはっきりと見て取れる。



それを無下にするようなさっきの当真の発言を、もし自分が言われたらと当真は自分で考えた時、



自分もきっと朱音のように怒るだろう。そう思った。







会話の合間に生まれた沈黙の隙に、当真は考えを巡らせていたが、再び朱音が口を開いた。



「相ッ変わらず好きねー図書館。本なんか読む暇あったらもっと友達でも作りなさい」



「うっせ。余計なお世話、だ」



「なによう。心配してあげてるんでしょ」



「……悪意しか感じられねぇっつーの」







そう言って当真は朱音の頭を小突いた。



なんだ、いつもの調子と変わんねーじゃねーか、と当真は思ったのと同時にまた新たな疑問が浮かぶ。



それは「どうして女はこんなに感情の起伏が激しいんだ?」というものだ。



さっきまではまともに口も利いてくれないほど怒ってたはずが、たかだか数時間でいつもと変わらないような



会話が出来ているし、憤ってたのがただ拗ねたようなものに変わってるわ、



もはや当真にはどんな心境の変化があったのか到底理解が及ばない。



そしておそらく一生理解できないと思った。







けれど、このときに朱音の機嫌が若干戻ってたからこそ、素直に先ほどのことを謝れる気がした。



気の迷いが生じないうちに、とっとと謝ってしまおうと当真は決めた。



「……さっきは悪かったな」



「は?なにが?」



と予想に反する答えが返って来た。どうやらこの少女、さっきのことなどとっくに頭から



消え去っているらしい。拍子抜けた返事に、当真は真剣に悩んでた自分がいっきにバカらしくなった。



(全く、女ってやつはつくづく分からねぇ……)



当真にしてはこの言葉を紡ぎ出すのにかなりの時間と覚悟を要したにも関わらず、



返って来た返事は先ほどのことなど全く気に咎めたような様子などないほどあっさりしていた。



もはや当真は脱力し、もうどうでもいいような気がしてくる。



「いや、分からないならもういい」



「なによー、気になるじゃない」



「大丈夫だ。お前はきっとそんなに気にしてないはずだから」



「…………?」



なにがなんだか分からないといった朱音の表情を見て、当真は少しホッとした。











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「ところでお前、こんなトコでなにしてたんだ?」



「何って……普通雨の中屋根の下でじっとしてるとなったら、雨宿りって気付かない?」



質問を質問で返された。そう言われればそうだ。



そんな単純なことに気付かなかった当真は、よっぽど思い詰めていたのだろう。



それによく見ると朱音の手には鞄は握られていても、傘らしきものはない。



あ……、といった表情で当真は呆然としていた。



「全く、頭いいくせにどうしてこんなことに気付かないのかしらねぇ」



「ぐ……」



言い返したい。言い返したかったが、今回は明らかに当真に非がある上に、また余計なことを言って



怒らせるのは不本意だ。当真はそう判断して話を転換する。



自分に不利な話題になったときは、話題を変えるのが一番だ。



だがろくな話題を思いつかなかった当真には残る選択肢は一つだった。すなわち――逃亡だ。



人生はときに逃げることが勝つことだってある――と言い訳がましく自分を納得させ



当真は手に提げた折り畳み傘を開いて、降りしきる雨の中へと踏み出した。



幸いにも、朱音と喋ってた間にさっきまでよりも雨は多少弱まっている。



だがしかし、数歩進んだところで、後ろから叫び声が聞こえた。



当真は声がした方へと振り返った。







「ちょっとちょっとちょっと!!アンタ何してんのよ!?」



「何って……お前こそ見て分かんねーのか?帰るんだよ」



そう言って再び踵を返して歩き始めた。



「だから待ちなさいよ!」



だが再び呼び止められたので、渋々後ろを振り返った。



「んだよめんどくせーな」



口ではそう言いながらも、当真は再び歩みを止めて朱音の方を見た。



朱音は表情で「信じられないわ」と語っている。そしてそれは思った通りだった。



「『んだよめんどくせーな』じゃないわよ。この雨の中、か弱い女の子が傘が無くて帰れず困ってるのに



自分はそれに見向きもせずに悠々と帰ってくって……どういう神経してんのよ」



「え?か弱い?誰が?」



そう言った次の瞬間、一気に当真まで間合いを詰めた朱音の右ストレートが当真のこめかみを掠める。



朱音が放った右ストレートは、降り注ぐ雨粒を巻き上げて、一瞬だが朱音の周囲の水滴が舞い上がり、



その後何事もなかったように水滴が重力にしたがって地面に落ちる。



そんな達人並のストレートを放つ朱音を見て、当真の頬を冷や汗が伝った。



というかこの状況を見れば、だれがどう見ても朱音が"か弱い"女の子ではない事は一目瞭然なのだが。







朱音はそのまま当真の傘の中へと入り込んだ。



一般の。朱音の怖さを知らない男子生徒がこの状況を見れば、美少女と相々傘をしている当真を



羨ましがるだろうが、朱音の本当の恐ろしさを知る当真にすればこれは命の危機だ。



なんせいま、当真は朱音の攻撃が回避不可能な位置にいるのだから。



「家まで送ってってくれるよね?」



お前に拒否権はねーぞ、と朱音の目が訴えている。……断われない、当真はそう悟った。



「お、おぅ」



「ホントに?さんきゅートーマ、気が効くねーっ。さすが私の幼馴染♪」



「ホントは死んでもいやだけどなッ!つーか半分脅迫じゃねーか!!」と当真は心の中で目一杯叫んだ。



しかし小さな折り畳み傘に二人入るとなるとどうしても窮屈になる。



よって当真は無意識に自分の右半身を傘の外へと出す。これで朱音が濡れる事はないはずだ。



嫌だ嫌だと言いながらも、やはり気を効かしていることに当真自身は無自覚のようだ。







かくして――。



美少女と相相傘という嬉しさ(?)と恐怖の入り混じる、帰り道につくのであった。



そう――当然家までの道のりは長いのである。











<2012年11月22日 公開>














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